魏志倭人伝で卑弥呼に紫綬した金印は見つかっていなくて、今現存するのは、志賀島で発見されたものだけです。
志賀島には、乙姫に纏わる伝説が残されていて、浦島太郎が出会ったと言われている、龍宮瀬とも呼ばれている二見岩があったり、きんいん、おとひめという名の観光船があったりします。
乙姫の正式な名前は吾平津姫(アビラツヒメ)、日本の初代神武天皇が、伊須気依姫(イスケヨリヒメ)との婚儀で、大和に向かう前の正妻にあたる人で、卑弥呼にとっては孫の嫁♪
金印が、卑弥呼から末子相続で熊野楠日、イワレヒコ(神武天皇)へと代々、受け継がれて、乙姫の手に渡ったという考えは、何も証拠が無いけど、特に矛盾はないよね?
敢えて言うなら、原田常治氏の「古代日本正史」の中で、乙姫は大和に向けて出港するイワレヒコを、油津港で見送った・・・
宗像三女神で叔母にあたる、イチキシマヒメ(市杵島姫)に挨拶するために、遠回りした・・・
という説を否定することが唯一、気にかかるところかな?
卑弥呼の後継者である豊受姫だけを残し、悲運に打ちひしがれて、乙姫という低俗な呼び名まで着せられた妻を叔母に託すため、志賀島に連れて行った・・・というのが、今回の新説♪
志賀島に伝わる浦島太郎伝説だけは、太郎が乙姫と結婚して幸せに暮らしたらしいよ!
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