今日の朝日新聞に、平野啓一郎のエッセイが載っていて、同郷の友人とは価値観が余りにも違いすぎて、早くその環境から抜け出したかったと懐述しています。
母親は生まれた場所が大好きで、嫌なことも色々あるけど、75歳になった今では、もう離れられないみたい・・・
ボクにとって、生まれた場所には、あまり愛着が無くて、やっぱり狭い社会の価値観から早く遠ざかりたいというのが、高校生の時に感じていたことでした。
今から思えば、広島でもその感覚は拭えなくて、自分の未熟さも原因の一つだったと思うけど、若さゆえのエネルギーに満ち溢れた周囲に付いて行けなかったというのもあるかな?
茨城では、ウインドサーフィンを始めて、何かが弾けたという説もある。でも、同じように過ごしていても、何かが違ったような・・・
とにかく、世界が広がって新しい出会いがあったのと、それまでに無かったタイプの存在に気付いたという訳・・・
東京とは違う、関東の人達は温かく、独身寮の掃除担当のオバチャンが「ウインドサーフィン行ってきな❤️」なーんて言うのを聞いてると、家族以上の感情があったような気もするね!
そういうこともあって、しばらくは茨城訛りの関東言葉を使い続けていたけど、今はすっかり関西弁(和歌山弁ではない・・・)
田舎者なりに、これからの過ごし方が問われる時期に来ているね!
その答えは、独り暮らしの母親を見守りつつ、将来、生まれた場所での生活を頭に入れながら、離れて暮らす(父親が亡くなって4年経つとこうなった・・・)。
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