地理学者の野上道男さんが、著書「魏志倭人伝・卑弥呼・日本書紀をつなぐ糸」の中で、邪馬台国は九州に間違いないという結論を出しているよ・・・
独自の視点で調査を進めた結果、名探偵の頭の中では、下図のような結果に辿り着いたようで、同じように魏志倭人伝を解読し、直感的に九州以南の島々を結び付けた、原田常治さんの理解とは少し違ってる?
日本書紀の中で、神功皇后を卑弥呼にしていること、歴史学者の誤読や、正確な古代史が、教科書で説明出来ない現状には不満をもっているようだよ・・・
http://www.geog.or.jp/files/h27-autumn_01.pdf
http://www.geog.or.jp/files/geog_lectureheld_20130615.pdf
この夏、一番の収穫かも?
倭人在帶方東南大海之中 依山為國邑 舊百餘國 漢時有朝見者 今使譯所通三十國
從郡至倭 循海岸水行 歴韓国 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里
始度一海 千餘里 至對海國 其大官日卑狗 副日卑奴母離 所居絶 方可四百餘里
土地山險多深林 道路如禽鹿徑 有千餘戸 無良田食海物自活 乗船南北市糴
又南渡一海 千餘里 名日瀚海 至一大國 官亦日卑狗 副日卑奴母離 方可三百里
多竹木叢林 有三千許家 差有田地 耕田猶不足食 亦南北市糴
又渡一海 千餘里 至末盧國 有四千餘戸 濱山海居 草木茂盛行不見前人 好捕魚鰒
水無深淺皆沉没取之
東南陸行 五百里 到伊都國 官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬
女王國 郡使往來常所駐
東南至奴国 百里 官日兕馬觚 副日卑奴母離 有二萬餘戸
東行至不彌國 百里 官日多模 副日卑奴母離 有千餘家
南至投馬國 水行二十日 官日彌彌 副日彌彌那利 可五萬餘戸
南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月 官有伊支馬 次日彌馬升 次日彌馬獲支
次日奴佳鞮 可七萬餘戸
自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳 次有斯馬國 次有巳百支
國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國 次有好古都國 次有不呼國 次有姐奴國
次有對蘇國 次有蘇奴國 次有呼邑國 次有華奴蘇奴國 次有鬼國 次有為吾國 次有鬼
奴國 次有邪馬國 次有躬臣國 次有巴利國 次有支惟國 次有烏奴國 次有奴國 此女
王境界所盡
其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王 自郡至女王國 萬二千餘里
「倭人は帯方東南、大海の中に在り。山島に依り国邑を為す。旧百余国。漢の時、朝見す
る者有り。今、使訳通ずる所は三十国。」
「郡より倭に至るには、海岸に循いて水行し、韓国を歴て、乍南乍東し、その北岸、狗邪
韓国に到る。七千余里。」
「始めて一海を度る。千余里。対海国に至る。その大官は卑狗と曰い、副は卑奴母離と曰
う。居する所は絶島、方四百余里ばかり。土地は山険しく深林多し。道路は禽鹿の径の如
し。千余戸有り。良田無く、海物を食し自活す。船に乗り、南北に市糴す。」
「又、南、一海を渡る。千余里。名は瀚海と曰う。一大国に至る。官は亦た卑狗と曰い、
副は卑奴母離と曰う。方三百里ばかり。竹木叢林多し。三千ばかりの家有り。やや田地有
り。田を耕すも、なお食するに足らず。亦、南北に市糴す。」
「又、一海を渡る。千余里。末盧国に至る。四千余戸有り。山海に浜して居す。草木茂盛
し、行くに前人を見ず。魚鰒を捕るを好み、水、深浅無く、皆、沈没してこれを取る。」
「東南陸行。五百里。伊都国に到る。官は爾支といい、副は泄謨觚、柄渠觚という。千余
戸有り。世、王有り。皆、女王国に統属す。郡使往来し常に駐する所。」
「東南、奴国に至る。百里。官は兕馬觚と曰い、副は卑奴母離と曰う。二万余戸有り。」
「東行、不弥国に至る。百里。官は多摸と曰い、副は卑奴母離と曰う。千余家有り。」
「南、投馬国に至る。水行二十日。官は弥弥と曰い、副は弥弥那利と曰う。五万余戸
ばかり。」
「南、邪馬壹国に至る。女王の都とする所。水行十日、陸行一月。官は伊支馬有り。次は
弥馬升と曰う。次は弥馬獲支と曰う。次は奴佳鞮と曰う。七万余戸ばかり。」
「女王国より以北、その戸数、道里は略載を得べきも、その余の旁国は遠くして絶へ、
詳を得べからず。次に斯馬国有り。次に巳百支国有り。次に伊邪国有り。次都支国有り。
次に弥奴国有り。次に好古都国有り。次に不呼国有り。次に姐奴国有り。次に対蘇国有り。
次に蘇奴国有り。次に呼邑国有り。次に華奴蘇奴国有り。次に鬼国有り。次に為吾国有り。
次に鬼奴国有り。次に邪馬国有り。次に躬臣国有り。次に巴利国有り。次に支惟国有り。
次に烏奴国有り。次に奴國有り。ここは女王の境界尽きる所。」
「その南、狗奴国有り。男子が王と為る。その官は狗古智卑狗有り。女王に属さず。
郡より女王国に至る。万二千余里。」
PR
コメント